2010年12月04日
友へ…
今日は、亡き友の命日
その友と出逢ったのは、小学校2年の時
新しい小学校が開設され、我々は同級生となった
当時は、1学年2クラスしかない小さな学校だったため
異性に係わらず、どの児童とも自然と仲良くなった
そして、その彼とホントに仲良くなったのは
私が今の実家に引越した、小3の夏
お互いの家が徒歩1、2分というご近所になってから
授業が終わると、ほぼ毎日のように彼とは遊んでいた
お互い下手くそだったけど、将棋や野球やサッカーetc
それこそ、日が暮れるまで夢中で遊んでいたのを覚えている
さらに中学校になってからは、彼を含めて仲が良かった4人
毎朝、彼の家に集まってから、3年間同じように通っていた
そして、卒業式の朝
いつもの通り、4人が彼の家に集まって登校
すでに、福岡の私立高校に進学が決まっていた彼
残りの3人は、それぞれ地元の別々の公立高校へ受験を控えていた
別れを惜しむように、田んぼの畦道をふざけながら歩いていたら
気がつけばかなり遅刻してしまい、先生にしんけん怒られた
たぶん私の人生の中で、遅刻したのはこれが最初で最後だったと思う
それから別々の高校に進学した後、彼とは自然と疎遠になってしまった
全寮制の厳しい進学校につき、休みの間にも帰ってこれなかったらしい
そして私は私で、いつもの間にか彼の事を忘れてしまい
部活や勉強など、自分なりの高校生活を楽しんでいた
そして、私は高校を卒業し、某大学に進学した1年目の冬
家庭教師のバイトから帰り、実家からの留守電に
とのメッセージが残されていた
一瞬、何の事かさっぱり分からないため
深夜にかかわらず、すぐ実家に電話をかけた
両親もその事実を知ったのは、すでに葬儀が終わった後の事
冬休みになり、私は実家に帰ってすぐ彼の家にお参りに行った
「ご焼香させてください」
数年ぶりに会った彼の母親は、ひどくやつれていた
チーン
亡くなった祖母以外、人生で初めての焼香
仏前の写真は、おそらく高校生になってから撮ったのだろう
中学生時と同じ、はにかむかのような彼の優しい笑顔
でも昔に比べて、かなり頬が痩せていたのは鮮明に覚えている
それは、私が知らない彼の顔だった
なぜ、彼が自ら命を絶ったのか、彼の母親に理由は聞けなかった
ただ、彼の両親がいずれも、学校の先生という立場であり
一人息子に対して、過度の期待感を与えていたのは知っていた
それに応えるかのように、無理して進んだ私立高校
でも、思うような結果はでなかった
両親の期待に応えられなかった、プレッシャーがあったのだろう
その一言を最後に、嗚咽で言葉がでてこない彼の母親
私は何も言えず、静かに頭を下げて、玄関を出て行った
それからしばらくして、彼の実家は空家になっていた
今でも時々、本当に悔やむことがある
「もし、同じ高校に進学するように説得できていたなら…」
「もし、本当に悩んでいる時に、彼と話す事ができたのなら…」
もしもの話でありながら、今でも悔やまれてしょうがない
そして、生きていてくれたら、いつか再び会った時
みんなで遅刻した、卒業式の朝の事をつまみにしつつ
酒を酌み交わしながら、懐かしく話せたろうに…
その友と出逢ったのは、小学校2年の時
新しい小学校が開設され、我々は同級生となった
当時は、1学年2クラスしかない小さな学校だったため
異性に係わらず、どの児童とも自然と仲良くなった
そして、その彼とホントに仲良くなったのは
私が今の実家に引越した、小3の夏
お互いの家が徒歩1、2分というご近所になってから
授業が終わると、ほぼ毎日のように彼とは遊んでいた
お互い下手くそだったけど、将棋や野球やサッカーetc
それこそ、日が暮れるまで夢中で遊んでいたのを覚えている
さらに中学校になってからは、彼を含めて仲が良かった4人
毎朝、彼の家に集まってから、3年間同じように通っていた
そして、卒業式の朝
いつもの通り、4人が彼の家に集まって登校
すでに、福岡の私立高校に進学が決まっていた彼
残りの3人は、それぞれ地元の別々の公立高校へ受験を控えていた
これが最後の、一緒の登校か…
別れを惜しむように、田んぼの畦道をふざけながら歩いていたら
気がつけばかなり遅刻してしまい、先生にしんけん怒られた
たぶん私の人生の中で、遅刻したのはこれが最初で最後だったと思う
それから別々の高校に進学した後、彼とは自然と疎遠になってしまった
全寮制の厳しい進学校につき、休みの間にも帰ってこれなかったらしい
そして私は私で、いつもの間にか彼の事を忘れてしまい
部活や勉強など、自分なりの高校生活を楽しんでいた
そして、私は高校を卒業し、某大学に進学した1年目の冬
家庭教師のバイトから帰り、実家からの留守電に
「彼が亡くなった」
とのメッセージが残されていた
一瞬、何の事かさっぱり分からないため
深夜にかかわらず、すぐ実家に電話をかけた
「飛び降りたんだって」
両親もその事実を知ったのは、すでに葬儀が終わった後の事
冬休みになり、私は実家に帰ってすぐ彼の家にお参りに行った
「ご焼香させてください」
数年ぶりに会った彼の母親は、ひどくやつれていた
チーン
亡くなった祖母以外、人生で初めての焼香
仏前の写真は、おそらく高校生になってから撮ったのだろう
中学生時と同じ、はにかむかのような彼の優しい笑顔
でも昔に比べて、かなり頬が痩せていたのは鮮明に覚えている
それは、私が知らない彼の顔だった
なぜ、彼が自ら命を絶ったのか、彼の母親に理由は聞けなかった
ただ、彼の両親がいずれも、学校の先生という立場であり
一人息子に対して、過度の期待感を与えていたのは知っていた
それに応えるかのように、無理して進んだ私立高校
でも、思うような結果はでなかった
両親の期待に応えられなかった、プレッシャーがあったのだろう
「私が………」
その一言を最後に、嗚咽で言葉がでてこない彼の母親
私は何も言えず、静かに頭を下げて、玄関を出て行った
それからしばらくして、彼の実家は空家になっていた
今でも時々、本当に悔やむことがある
「もし、同じ高校に進学するように説得できていたなら…」
「もし、本当に悩んでいる時に、彼と話す事ができたのなら…」
もしもの話でありながら、今でも悔やまれてしょうがない
そして、生きていてくれたら、いつか再び会った時
みんなで遅刻した、卒業式の朝の事をつまみにしつつ
酒を酌み交わしながら、懐かしく話せたろうに…
Posted by まんねん at
03:01
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