秋の雨は嫌い…

まんねん

2007年10月09日 22:44


あれ~があな~たの、すき~な場所。

ごぞんじ”オフコース”の名曲「秋の気配」です。ワタシの好きな一曲でもあります。

秋雨が降ると、一気に気温が下がり秋の気配となるねえ。まあ、今年は遅いですが…。

でも、秋の雨は嫌いです。この季節に雨が降ると、つらい記憶が蘇るからです。
今日はアルコールもエロもなし、マジ話です。長いですが、飽きたら読むのやめてください。

3年前、10月のとある激しく雨が降った夜、彼女と別れました。
正しくは、結婚がなくなったというべきかな。

28歳の時、知り合いの紹介で彼女と出会いました。彼女は3ヶ月年上の、某企業に勤める会社員でした。

ワタシは社会人になってからホントに仕事しかしてなく、丸6年以上浮いた話が全くない状態でした。
周りの人は心配してくれて、あの頃はいろんな人から女の子を紹介されてた時期で、その中でなぜ彼女を選んだかは正直覚えてないんですが、明るくしっかりした性格に惹かれたんでしょうね。

それから、彼女とは食事に行ったりトリニータの応援に連れて行ったりとデートを重ねて、自然とつき会うようになり、1年半くらいたった後の12月、クリスマスイブとかそんなロマンティックなシチュエーションではなかったけど、プロポーズしました。もちろんOKでした。

それから彼女の両親に挨拶に行き、うちの両親にも会って、年が明けて2月初旬に無事結納をし、2月末の彼女の誕生日に入籍する予定でした。

式場も決まり、結婚指輪も買って家具も予約して、そこまではホントに幸せだったんです…。



ところが結納して10日たった時、突然彼女の両親が結婚に対して猛反対し始めたんです。

原因はワタシの親父の病気です。視野がどんどん狭くなり、最後は失明するという病気です。
それを彼女には説明してたんですが、その病気が遺伝性であることまでは話してなかったんです。

どうもワタシの知らないところで、彼女とワタシの両親が話しているときに、親父の病気について彼女の両親が疑問にもったため話がこじれ始めた訳です。

話してなかった理由は、正直、ワタシが小学生になる頃には既に親父は目が悪く、目が見えにくいというのが当たり前の日常生活だったんで、面向かって親父の病気について尋ねたことはないため、具体的には全く知らなかったです。というか、聴かないのが不文律というか、触れてはいけない部分だったんですね。

そういえば、小学校3年くらいに九大付属病院で兄貴と目の検査に行ったような記憶はかすかにあるけど、遺伝してるかどうかの検査とは後で両親から聞いて、初めて知ったくらいです。

ただ、その点を話していないことが、彼女の家族を”騙した”と、そんな男は信用できないと言ってきた訳です。
「まあ、そう言われてもしょうがないかもしれん」と自分を無理やり納得させて、とにかく誠意を見せ許してもらうために、改めて眼科病院に検査に行き、事情を説明して遺伝していない旨の証明書をわざわざ発行してもらい、何度も福岡にいる彼女の両親に頭を下げに行きました。

それ以上に辛かったのが、彼女自身から責められた事ですかね。彼女の母親が言った事をそのままワタシにぶつけて来るわけです。
ましてや、「目の悪い子供を生むと子供がかわいそうだ。そんな子供を生みたくない」とまで言ってきたわけです。
それで売り言葉に買い言葉で「じゃあ、健康な男だったら誰でも良かったんか」と反論すると、すぐ泣き出すし、正直手に負えなかったです。
そんな会話がしばらく続き、正直辛かったんですが、とにかくずっと耐えてました。
まだワタシが浮気したとか、自分に責任があるほうが楽でしたねえ。

そして、頭を下げたかいがあったかは知りませんが、夏になって、彼女の両親はワタシの事を完全に許したわけではないけど、彼女がワタシを選ぶならしょうがない、結婚を認めると言ってきました。

自惚れではないけど、その時は「本気で俺の事が好きなら、きっと両親の反対を押し切って、きっと俺の元に来てくれる」という確信はありました。
しかし、それでも彼女はしばらく悩んでました。

理由は彼女が一人っ子だから、幸せな結婚をして両親に喜んで欲しいという希望があったらしいです。
まあ、確かに両家の間でこんなにもめてしまったしねえ。
そんな彼女を見てるうち、夏から秋に移る頃には「もうだめだな」という確信の方に変わりました。

「自分から断れば彼女を苦しみから解放できるかな」、と安易な考えが何度も浮かんだんですが、最後まで彼女を信じてみようと思って待ちました。

そして10月の雨が降る夜、彼女はマンションに来て正式に別れを告げに、つまり婚約破棄を告げてきました。結局、彼女はワタシより両親の気持ちを選んだわけです。

十分覚悟はしていたけど、悲しかったですねえ。今でも、廊下の壁には拳で殴った跡が残ったままですしねえ。自分に魅力がないばっかりにと、本気で落ち込みましたね。
いやらしい話、婚約指輪と結婚指輪代、式場のキャンセル料も結構太かったしねえ。
ト○ハのティ○ァニーには二度と行きたくありません…。

別れた後、平日仕事している時はいいけど、あと演歌の世界じゃないんですが、週末の夜は一人の家に帰りたくなくて、いつもベロベロに酔うまで一晩中都町で飲んでましたね~。

ただ良かったのは、友人達に結婚がなくなった理由を簡単だけど説明したとき、本気で怒ってくれた事かな。嬉しかったですね正直、友達って大事ですね。

あと、今年退職しましたが当時の上司が別れた彼女を忘れさせるため、とにかくわざと仕事をいっぱい振ってくれて、半年近く余計な事を考える暇がないくらい忙しくしてくれたため、仕事面に関してはかなり成長しましたね。


でも問題は残ってまして、以後ワタシ”恋愛”ができなくなりました。

いや、正しくは恋愛はできるんです、遊びと割り切れば。
ただ30歳超えてしまうと、ある程度結婚を意識した相手になりますから、そうすると昔の記憶が蘇ってしまうわけなんです。

別にフラレるのは慣れているんで、フラれるのは怖くありません。
怖いのは同じ理由、つまり”親父の目の病気”の事で結婚を断られるのが怖いんです。

ワタシの両親はそのもめてた間ずっと、全て私に任せて全くナニも言いませんでしたが、正直相当傷ついたと思います。
当事者の親父はそうですが、むしろお袋の方が辛かったと思います。
目が見えにくくなった親父に代わり実家の商売を切り盛りし、その中で3人の子供を全員大学まで行かせてくれましたからね、両親、特にお袋には感謝しています。

そのお袋の今までの人生を、彼女の家族から全否定されたようなもんですからね、彼女と別れたと伝えた時も「そう」とナニも言いませんでしたが、今までいろんな悪さをして怒られてきたけど、本気で申し訳ないと思いましたからね。

自分自身の体についても怖いですしね。成人する頃には症状が出始める病気なんで、30歳超えた今もなんともないから問題ないとは思うけど、もしかしたらという事もあるし、隔世遺伝するかもしれないしねえ。
それに、こんな事で親父を恨みたくもないしねえ。

ただ、トラウマになってるのは事実です。丸3年たった今、彼女を作ろうかという元気は出ましたが、意識した瞬間どこかで気持ちが萎えてしまい、結局前に進めずじまいです。

そんないわくつきの過去もちだから、両親は心配してワタシが実家に帰るたび「結婚しろ」と口すっぱく言うたび、「今は仕事に集中したいし、まだ一人でいい」と言い訳をしてますが、本当の理由は言えないんですよね。また悲しませるわけだし。

何とかしたいとは思うんですが、この時期雨が降り出すと嫌な記憶だけ蘇ってくるわけです。

だから、秋の雨は嫌いです…。