ジン・トニックのおもひで

まんねん

2007年09月17日 22:12

午後からやる事なく、何しようかと考えていたんですが、結局昼飯食って、紀伊国屋に寄って本買って、帰り酒屋に寄って酒買って、マンションに帰ってから部屋の掃除して、ずっと買って来た本を読んでいるのに飽きてきたところです。
真面目な経済情報誌です、決してエ○本ではありません。

んで、今冷凍庫で凍らせたドライジンをちびりちびり飲んでるところです。銘柄は「タンカレー」です。
こいつです。


バーでは定番中の定番ですが、久しぶりになぜか飲みたくなったんですよね。
というか、この季節になると飲みたくなる、結構思い出深い酒です。

時は約13年前の大学生の時、熊本市内の繁華街のお好み焼き屋でアルバイトしてました。
それも変なアルバイトで、ワタシは配達専門で繁華街をチャリンコで爆走して、クラブやキャバクラからソープランドまで、料飲店や風俗店にお好み焼きや焼きそばを持って行ってました。

結構面白いバイトで、ホステスやクラブのママや呼び込みのにーちゃん、ましてやソープ嬢のお姉さんと自然と仲良くなり、世間話ついでいろんな情報を得ていたので、あの当時ならサイト作れるくらい熊本繁華街の情報通になってました。あんまり、いばれませんが…。

そんな9月頭の今頃知り合ったのが、同い年のカズ君でした。彼は高校中退後、いろんな職を転々として、とあるバーで働いてました。そのバーが結構高くてねえ、ホステスの同伴とか、ママさんが仕事帰り常連客と寄るような店で、当時大学生のワタシにはとても通えない店でした。

ところがカズ君が「タダでいいよ」と言われたんで、いっぺん寄って飲んでたら、そこのマスター兼オーナーになぜか気に入られ、「いつでも気軽に寄っていいよ」と言われました。
それも、何杯飲んでも3千円でいいって。いいんかなあ…、思いっきり恐縮したんですが、
「カズがカクテルの勉強中だから、それを飲んで実験台になってくれ」
なるほどね、そういうことか。でも、喜んで。

それから週に1度ほどバイトが終わる土曜日の夜2時過ぎ、暇になった頃店に寄ってカズ君の実験台になってました。その時彼がよく作ってたのが、”ジントニック”でした。
確か氷を入れて、ジンを入れて、トニックウォーターでフルアップして、軽くステアするだけの簡単なカクテルのはずですが、これがカクテルを作る基本なんだそうですね。
正直、カクテルの事なんも知らんし、今もよく分かりませんが。

「なんか薄いなあ、かき混ぜ過ぎ」とか「バランスが悪いんやない」とか、真面目に働いているカズ君を、なんとか成長させてあげたというマスターの親心に答えるよう、正直に厳しく感想を述べます。
そしたら、彼も毎週のようにジン・トニックをワタシに出してきましたが、努力の成果かだんだんおいしくなってきました。

今でも忘れられないのが、彼女にフラレ一人寂しく過ごしたクリスマスイブにふらりとバーに寄り、カズ君が作ったジン・トニックの味です。氷を溶かしすぎない絶妙なステア、ちょうどワタシ好みの味になりました。
「うん、おいしい」と言ったときの彼の笑い顔は印象的でした。。

それから冬休みの後、試験前の1月末ごろ久しぶりにバーに遊びに行ったら、カズ君はいません。
「カズ君どうしたの?」とマスターに聞いたら、「亡くなったって…」と言われました。
彼は神戸出身で、今まで家出同然で実家を出た後ふらふらしてたんですが、ちゃんとした職業に就きカクテルも作れるようになったということで、マスターの勧めで5年ぶりに故郷に帰ったら、神戸大震災の被害にあったそうです。一家全員亡くなったと。
マスターもそうですが、ワタシもしばらく落ち込みましたねえ。

それから、試験勉強と就職活動が忙しくなりお好み焼き屋のバイトも辞めて、自然とそのバーから足も遠ざかりました。

卒業後、大分市に就職して3年後に熊本に遊びに行ったときは、もうそのバーはなくなってました。
違うスナックでさりげなく聞いたら、遅れてやってきたバブル崩壊が熊本市に直撃して、高級店はほとんど壊滅したらしいです。悲しいなあ…。

それから、いろいろなバーを回りましたが、未だカズ君が最後に作ってくれたジン・トニックを超えるジン・トニックを飲んだことがありません。それが、”タンカレー”が”ゴードンズ”か、どのドライジンを使ってたか、記憶が定かではないんですよね、悲しいことに…。

それとそのバーでは、酒とか飲み方とかいろいろと学びましたねえ。
若いオトコが一人飲んでるのが珍しいせいか、ホステスやクラブのママ、風俗嬢などいろんな人から声をかけられ、ブランデーやウイスキーから、ワインや日本酒、焼酎まで奢ってもらいました。もちろん、大学生だったワタシには飲めない高い酒ばっかりです。
それと同時に彼女達からいろんな話を聞かせてもらい、夜の接客業の厳しさや仕事に対するプライドを教えてもらいました。

おかげでそれが都町で働いている女性への会話の中で、今も生きてるのかなあと感謝しています。

たった4ヶ月ほどでしたが、カズ君が残してくれた遺産は、ワタシにとってかなり大きいです。
感謝して、タンカレーを嗜みたいと思います。明日に残らない程度に…。