「そろそろ出ようか?」
「えー、まだ時間は大丈夫だよー。もう1杯飲もうよー」
「家に彼氏が待ってるんだろう?。早く帰れよ。」
「だって、今日も仕事で遅くなるって言ってたもん。」
「彼氏はキミとの将来のために夜遅くまで働いているんだろう。」
「でも、一人で家にいても寂しいだけだもん。仕事仕事ばっかりでほったらかしだし」
「そんな事を言ったら、頑張ってる彼氏も悲しむぞ。さあ、駅まで送るよ。」
「あ、雨が降りだした。すごいねー、天気予報当ってる。」
そう、あの日の夜もこんな冷たい雨だった…。
男は当時24才。どこにでもいる、普通の男であった。
男が大学在学中に起きた、突然の父親の死。
そして男は自ら進んで大学を中退し、2年間都会での厳しい修行を終えて、実家の仕事を継いだ。
それから、付き合ってた彼女との将来を夢見て、汗水たらして夜遅くまで懸命に働いていた。
少しでも早く一人前の大人として、彼女に、そして彼女の両親に認められたかった。
「今週もまた会えないの?」
「ごめん、今週も仕事がたて込んでいるんだ」
彼女は就職後、地元を離れて一人暮らしをしていた。
その距離わずか50マイル。夜中に車をとばせば1時間少々で彼女の元にたどり着く。
今すぐにでも彼女の笑顔が見たい、そしてその華奢な体をきつく抱きしめたい。
しかし、若くして家業を継いだ男にとって、仕事に対しての責任感が大きすぎた。
「この初めての大きな仕事さえ無事終わらせれば、オレは一人前の大人になれる」
男はそう信じ、ひたすら仕事に没頭した。
「そうだ、来月は彼女の休みに合わせて、どこか遠くまで旅行に行こう」
最近は、休日の間を縫って短い時間しか会うことができなかったから、その罪滅ぼしだ。
そして男は頑張った結果、人生初めての大きな仕事を無事終える事ができた。
よし、これで胸を張って、彼女に会いに行くことができる。
小雨の降る夜、50マイルの時間と心の隙間を埋めるべく、男は車を南東へ走らせた。
そして彼女を驚かせるため、あえて黙っておいた。
途中、花束と彼女の好きなチーズケーキをお土産に買って。
ピンポーン。ガチャッ。
おそるおそる玄関のドアを開けた彼女の顔は、嬉しさではなく愕然とした表情であった。
1ヶ月ぶりの再会なのに、なぜそんな悲しい顔をするんだ?。
男は一瞬考えたが、なぜか続く言葉が出なかった。
しかし、その謎はすぐに解けた。
彼女は無言で男を部屋の中に招きいれ、男も無言のまま奥に進んだ。
そして、部屋の中には、とまどいを隠し切れない表情をした、別の男が正座していた。
そう、その別の男は、男にとって中学生時からの大事な友人であった。
「ごめんなさい…」彼女は声を押し殺しながら、すすり泣きを始めた。
「すまん…」友人は、絞り上げるようなかすれ声で一言だけ発した。
男は全てを悟った。
しかし、男は彼女と友人に対して、一言も責める事はなかった。
そして、「分かった…」と一言残して、彼女の部屋を立ち去った。
ドアが閉まった瞬間、堰を切ったように彼女は床に伏せて泣き崩れた。
仕事に没頭してほったらかしにしたため、彼女に寂しい思いをさせてしまった…。
全ての責任が自分にあるかのように、男は後悔の念と失望感を全て心の中に閉まった。
そして50マイルの道のりを、大音量のCDとともに北西に向かい一人帰っていった。
それからの男は、全てを忘れさろうとするが如く、ますます仕事に没頭した。
結果、父親時からの常連に加え、多くの新規顧客がつき、男は立派な経営者となった。
そして新しい彼女ができ、順風満帆な人生を送り始めた。
そんなある日、突然彼女を奪った友人が店を訪ねてきた。
「すまない…」友人は深々と頭を下げた後、さらに土間に土下座して謝罪をした。
「やめてくれ、そんな事」男は友人の腕をとり立ち上がらせ、椅子に座るように勧めた。
「…実はあれから1年ももたずに、俺も彼女と別れたんだ…」
友人はかすれるような小声で、コーヒーを注ぐ男の背中に話しかけた。
友人も、次々と上司が退社したため、責任のある仕事を任されるようになった。
したがって仕事に没頭せざるを得なくなり、彼女との時間が取れなくなった。
そして、あの時と同じように、彼女の部屋に新しい別の男がいた。
その別の男もやはり、彼にとって大事な友人の一人であった。
「まさに因果応報だな…」友人は寂しそうにつぶやいた。
そしてブラックを一口飲み、「ちょっと濃いな、これ」と顔をしかめた。
男は揶揄する事も責める事もなく、ペンを走らせながらじっと黙って友人の話を聞いていた。
「あの時のお前の気持ちがよく分かったよ…」と、友人はしみじみと語った。
彼もまた、別の男を作った彼女を責めることができなかったらしい。
「でも、あの時俺の事を責めなかったから、こうしてお前に会いに行く勇気が生まれたんだ。ありがとう」
友人は素直に頭を下げた。男は特に何も言わず、仕事を続けていた。
「しかし、どうしたら仕事も彼女も順調に続けることができるんだろうな?」
ふっきれたように、友人は軽く笑いながら男に尋ねた。
「きっと、お前らしく自然のままにいるのが一番いいんじゃないか?、そういう彼女を見つけろよ。」
男も調子を合わせながらも、そのままペンを走らせていた。
「でも、決めたよ。もう決して、彼氏のいる女に走る事ようなマネはしない」
友人はそう宣言するかのようにすっと立ち上がって、「じゃあな、また会おう」。
しかし、その後友人と会うことはなかった。
男はその後も家業に励み、普通に結婚して3人の子供と共に幸せな家庭を築いている。
そして、友人はどうなったかは分からない。
今もきっと、50マイルの罪を背負い、あの時の誓いを未だ守っているのだろう…。そう思いたい。